1998年 母と北海道 道東の旅 | |||||||||||||||||||||||
那須の里山花図鑑 | |||||||||||||||||||||||
母と二人北海道へ旅に行けた想い出です 初めての母と旅行です
母は70歳ぐらい わたしとは24歳違い 何歳だったかな? 母は当時農協(JA)主催の旅が毎年行われて 海外や九州や北海道には一週間の行程 他に近県や関西中国四国方面には二泊から三泊の行程で季節ごとの旅行に参加していました 気軽に参加できるツアー旅行も盛んで小さなグループごとにいくつか集まり一つのツアーになり知らない人たちが一つの旅行の行動を共にするのも人気でした 母と二人でツアーに参加なら北海道に行けるね ということで実現しました |
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開業したばかり頃の福島空港から北海道帯広空港に 空港からバスに乗り移動
広い草原や林を抜けるどこまでも真っ直ぐな道路 中標津の360度見渡せる展望台 国後島展望 野付半島 釧路湿原 小清水原生花園 摩周湖 阿寒湖 硫黄山 知床半島 ウトロ港 網走水族館でクリオネを観て 層雲峡 大雪山士幌の広い農地を観て走り 当時はフィルムカメラで写真の枚数も少なくて それでも写せた大切な写真 三泊四日の旅の行程も千切れ千切れの想い出を繋げたい |
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野付半島で 黒百合を見つけて嬉しそう | |||||||||||||||||||||||
中標津360度見渡せる展望台 | |||||||||||||||||||||||
母は晩年認知症を発症 少しずつ症状が進み足も弱り遠くまで歩くのも無理になりました
旅好きな母は海外旅行もハワイ・東南アジア・中国など行きましたが細かいことは忘れて行ったことを覚えている位なのにこの北海道旅行のことは細かなことまで良く覚えているのです 摩周湖で切り売りのメロン買って食べて その甘くて美味しかったこと 阿寒湖で夜アイヌ民族の踊りを観に行くのに疲れて観に行かなくて残念なこと 遊覧船でマリモを観に行くとき阿寒富士の美しさ 層雲峡のホテルでは地元旭川ラーメンを食べたいわたしに母は夕食後でお腹がいっぱいで食べられないと言い 一人では行けないわたしは食べないで諦めたこと いつまでも「あの時はごめんね」と想い出しては詫びるのです そんなこともういいのに・・・ |
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オシンコシンの滝 来ている服も懐かしい | |||||||||||||||||||||||
2020年5月24日 2019年10月に母を見送って半年過ぎて 母と北海道旅をした事が懐かしくてこのページを作っています
母と旅ができて良かった この後高野山にも母と参拝旅ができました わたしより早くお母さまを亡くされた近所の友人はお母さまと旅をすることもなく親孝行らしいことも出来ずに逝ってしまい残念そうに「心残りで悔やまれる あなたは二人で旅行ができて親孝行できたね」とうらやましそうに話します その悔やまれる気持が良くわかります 親孝行 したい時には親は無し きっと 親孝行できないままで終わって悔やむ人は多いのでしょうね 親孝行できる頃は子育ての義務を終え時間的経済的な余裕も少しはできる年齢になりふと親を想うのでしょう 親の恩を切々と感じるのでしょう わたしも一緒に旅はできたけれど もっと優しく労われば良かった 優しい言葉で話せばよかった 70歳の身体の体力の衰えをもっと思い遣れば良かった 若い娘の頃は老齢のひとの心情など思い遣れなかった ごめんね 思えばあれもこれも悔やまれる 認知症が進むにつれて 記憶も薄れゆく中で 誇り高い母の心情を想う 手を握り 声を掛けると微笑む弱々しい顔が浮かぶ そして 元気はつらつで女性の生活を楽しんでいた自分が 今こうして寝たきりになり介護されている 60代は町の民生委員として不遇の人のお世話をしていた身なのに 今はお世話を受ける身 その老いた身をみじめで恥ずかしいと思うプライドも母親らしいと理解できる もっといろいろ話せばよかった 「ありがとう」って何度も言葉にすれば良かった 母の気持ちをもっと聴いてあげたかった 老いの心情に寄り添い受け止めてあげられたらよかった 娘の役目が足りなかった 後悔ばかりが追ってくる この母がいてわたしがいる この母がいて 今のわたしに繋がっている そして 3人の娘と5人の孫に繋がっている 愛情で包んでくれたこと 生き方を教えてくれたこと これからも想い出して忘れないよ 北海道の旅 あの時行けて良かったね 「お母さん」 |
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那須の里山花図鑑 | |||||||||||||||||||||||