那須野が原概要
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那須野が原とは  栃木県にリンク
 那須の概要
「那須」とは、栃木県北東部、那珂川上流一帯の地域名  郷土の地名の意味合いもある

那須地域は、旧那須郡を指し、那須町、大田原市、那須塩原市(旧黒磯市・西那須野町・塩原町の三市町合併)、那須烏山市(旧烏山町・南那須町の合併)、那珂川町に渡り、栃木県の面積の約四分の一のかなり広域

古代には那須国(なすのくに)が置かれ、旧湯津上村に「那須国造の碑」と「侍塚古墳」がある

大田原藩 黒羽藩 江戸幕府の領地であり 江戸や鎌倉や京への主要道路も通じている

源平合戦の「屋島檀の浦」の扇の的で名を挙げた那須与一が、扇の的を射ぬけるよう祈願した那須神社は大田原市金丸にある (源氏と平家の最後の決戦地「壇の浦」は山口県下関)

地形は、北西部の那須高原と、南東部の扇状地である那須野が原(那須野原)からなる 那須山の噴火で崩れた山肌の流れ落ちた日本最大の扇状地

那須五峰(最高峰は茶臼岳(那須岳))、高原山などの火山があり、山一帯は那須火山帯を形成し、日光国立公園の一部となっている 東は八溝山地の茨城県と境、北は白河の関や那須五峰で福島県と接している

観光地としての「那須」は非常に範囲が広く曖昧ですが、一般的には那須町の那須五峰や那須山麓、那須御用邸をランドマークに広がる那須温泉郷や那須高原を指す場合が多い

アクセス

東北新幹線駅は那須塩原駅 東京から約一時間 通勤圏内 

高速道路では東北自動車道の那須インターチェンジ・黒磯板室インターチェンジ・西那須野塩原インターチェンジが最寄。 東北や首都圏からのアクセスも良い

ETC搭載車は那須高原サービスエリアのスマートインターから乗り降りが便利

一般道では旧奥州街道添いに走る国道4号線が南北を縦貫している これに那珂川(旧陸羽街道)沿いを走る国道294号線、塩原方面を結ぶ国道400号線がメインルート

  那須野が原開拓史 (那須塩原市)
那須野が原(なすのがはら)は、栃木県北部の那須地域にある日本最大の広大な複合扇状地

  

広域で言う「那須」の北西部  那須連山、大佐飛山の山麓部から箒川と那珂川の合流部にかけて広がる標高150m 〜 500m程度の緩やかに傾斜したすそ野で、那須野ヶ原台地とも呼ばれる。

鎌倉時代には巻狩りの地とされ、源頼朝の巻狩りの際は那須氏が接待役を務めた。

手つかずの那須野が原の開発は明治期から始まる 那須野が原とは  栃木県にリンク

江戸時代の大名や士族は廃藩置県など明治新政府の政策によりその身分は変わりました 大名は藩を追われ領地もなくなりました 華族令が公布され、大名は華族となり 華族に爵位が与えられ 子爵・伯爵・公爵・侯爵・男爵という称号になり男子の家督相続の世襲でした

明治維新の名だたる人たちが那須野が原を国から払い下げを受け領地とし開拓を始めました 領地は地域名として今も残っています 爵位の最高位公爵の毛利氏(長州)東北本線黒磯駅のある旧黒磯市の市街地の広範囲 青木周蔵子爵(長州)は地名の青木と「道の駅明治の森」として敷地と別邸が現存  戸田伯爵(美濃の国)那須塩原市戸田地区 旧黒磯市に佐野常民伯爵(佐賀) 鍋島直大侯爵(佐賀)の農場  大山元帥(薩摩)大山農場は旧農業高校(現在は普通高校)があり敷地内に大山記念館が現存している 隣地に西郷従道侯爵(薩摩) 山県有朋(長州)山県有朋記念館が矢板市上伊佐野にある 旧西那須野町の三島道庸子爵(薩摩)の農場 松方正義公爵(薩摩)は開拓に難儀していた広大な土地を買い上げ 現在旧西那須野町に千本松農場としてのち観光牧場となっている 千本松農場は観光牧場の模範的で良質の牛乳を生産し 多くの観光客が訪れる人気の高い牧場  

開拓使は厳しい労働と多くの小作人を抱え 広い那須野が原は開墾されていきました 

那須野が原の開拓は容易には運ばなかった 火山の噴火で流れ出た石と岩の堆積扇状地

洪水や台風などで大雨が降った時に現れる川の形は有っても、普段は流れるはずの水は溜まらないで川の底に沁みこんでしまう水無川の蛇尾川がある 川の形の地下を流れる水は遥か南の下流の平野部に川が出現するありさま 那須野が原は農業には不毛の地でした

そこで 那須町と旧黒磯市の境を流れる一級河川の那珂川から疏水を造り水を引くことを考え 那須疎水事業が計画され始まりました

疏水工事は計画から2年で完成 那須野が原は潤い 広い草地ができて酪農業を中心に水田で稲作も可能になり農業がも盛んな地域になりました

なぜ困難が予想される疏水工事がわずか2年で完成したのか それはこの水無川と言われる蛇尾川の川底を掘りトンネルで水を引くことで陸橋や高架橋工事を省くことができたからなのでした

日本三大疏水は 那須疎水 滋賀県琵琶湖疏水 福島県安積疏水

取水口 疏水公園 那須疎水の流れ始め
水無川の蛇尾川の上流から下流の平野部と市街地の広い扇状地を俯瞰 この川の底の一部を那須疎水がトンネルで流れています
NHK総合 2017年8月20日放送 「さわやか自然百景」 放送画像をお借りしました
この河原はオオバヤナギの群生地で 中の写真の県道30号線の橋からオオバヤナギの様子を写しています 
樹のファイル オオバヤナギのページ
橋から観る下流方向   上流方向    水が流れてない普段の様子(右)
那珂川東北部風景 那須岳中腹から南方向を遠望
遠くに見える山並みは茨城県境の八溝山系でここから観える遠景が広域の「那須」の範囲になると思える 左画像中央が那須湯本
那須岳中腹の展望台「恋人の聖地」よりすそ野を遠望
かおり風景100選のツツジの名所八幡より 八溝山系方向 と 関東平野を一望
標高400mくらいのりんどう大橋から那須連山を遠望
下流方向 茨城県那珂湊に流れる
那須高原の開拓史 (那須町)
那須高原地域は古くから那須温泉の湯元があり秘湯の湯治場として定評の温泉地 冬は雪深く、那須山の噴火による石や砂利の地質は開発されることなく手つかずでした

那須のすそ野の平野部には古くから畑地が開かれ 余笹川や黒川などを水源として水田が造られ稲作も盛んな旧村と言われる地域が豊かに暮らしていました

この高冷地の那須高原地域が開拓されたのは、戦後、旧満州から引き揚げて来られた方々が入植して酪農を始めたことでした

雪深い冬の厳しい寒さ 那須おろしが吹き抜ける厳しい気候 石ばかりの地質の悪さ 飢えとの戦い 初代開拓者たちの苦労は計り知れないものがあります

代表的な千振地区の開拓史はNHKでドラマ化されてその苦労は多くの人に感動されました

現在は、土地開発ブーム 別荘地ブーム 観光ブームに依り、日本有数の農業と酪農と観光のパイオニア的なリゾート那須の中心地になりました

観光牧場 「南ヶ丘牧場」 は日本の観光牧場のパイオニア的存在

那須御用邸もあることから 「ロイヤルリゾート那須」としても存在感有ります

噴火の時に山の一部が山のまま流れて点々と海に浮かぶ島のようになった地形を生かし 島と島を堤防で結び川の流れを堰止めた人造湖「りんどう湖」農業用灌漑用水と観光牧場を兼ねた 自然を生かし 自然と親しむ大型リゾート観光としての地位を確立してきました

りんどう湖ファミリー牧場 2017年8月
りんどう湖ファミリー牧場 2018年8月
酪農地帯が広がる那須高原
戦後入植されて苦労を重ね本州一の酪農王国を築あげた草地が点在 

旧村地帯の平地には繁殖和牛の飼育の牧草地と水田や野菜栽培の耕地も点在

観光と農業が共存する広大な那須野が原風景です

すそ野に建つ二か所のホテルから那須連山を観る
赤丸○のホテルから那須連山展望 黄色○のホテルから那須連山遠望
  那須の里山花図鑑