那須の年中行事
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2014年4月8日 作成
薬師堂と石仏
春のお祭りです 

7日は薬師如来の縁日 夜 集落の女性が薬師堂に集まりお念仏を上げます 

お念仏が終わると宿(当番)の家の料理をいただきながら歓談 これから始まる農作業のことや野菜作りや地域の情報交換など親睦と交流の有意義な時間です 

宿の家は料理の準備が大変ですがそれも自慢の腕の見せ所 いつもの行事食なので作る料理は決まっていますがそれぞれの家の主婦の味です

8日花祭り お釈迦様の誕生日 降誕会ともいい 仏教国ではお釈迦様の像に花を散華して甘茶をかけてお祝いする行事です 

こちらでは7日夜と8日昼の集会を『薬師様』として集落のお祭りを催しています 現在は薬師堂に集まりお酒と料理で歓談しますが 昔は各家に親戚や知人を招待し 料理を準備してもてなし 夜まで宴会が続き集落全体がとてもにぎやかな祭日でした 

料理は重箱に盛り付けて薬師堂に持っていきます  行事食なのでメニューの基本は常に同じなのです 
お赤飯
お煮しめ ごぼうまたはウドのきんぴら
サラダ 煮豆
クレソンのお浸し   ごまあえ
料理名とレシピは 那須の行事食 と 那須の郷土料理 へ   
  薬師如来   仏尊辞典参考
薬師如来は正式名を薬師瑠璃光如来といい 東方浄瑠璃世界の教主 薬師如来がまだ菩薩の時衆生を救済するために12の大願を立てられた

・寿命を延ばし ・諸病諸苦を除き ・貧困を除き ・安楽を与える という現世利益が説かれ広く信仰を集めた 特に病気平癒を願うことが多い

薬師如来像の姿は 右手施無印 左手の手のひらは上に向け薬壺を持つ姿が多い

脇侍に日光・月光菩薩が従うのが通例

眼病の治癒を願うことも多い 『今昔物語集』には奈良の貧しい盲目の女性が薬師如来にお参りし慈悲を願ったところ 薬師如来の胸から桃のやにのようなものが流れ これを食べると盲目が治ったという説話がある

  釈迦如来  仏尊辞典  インド説話より
釈迦は名をゴータマ・シッタルダ 梵名シャーキャ(釈迦牟尼・略して釈尊ともいう) インドネパール付近マカダ国の父は淨飯王 母麻耶夫人 ルンビニー園で麻耶夫人右脇の下から四月八日正午に誕生 誕生後すぐに七歩歩いて右手を天に左手を地面を指して「天上天下唯我独尊」言ったといわれる故事を現した像が誕生仏です

誕生七日後麻耶夫人が亡くなる 七歳の時初めて城門の外に出て 老・病・死の三苦を目の当たりにし出家の志を起こす 十九歳の二月八日城を出る 

六年の難行 菩提樹の下に端坐 続いて六年煩悩を断ち切る常に入る それは苦しみと快楽の魔の誘惑に耐える苦しい修行 三十五歳で悟りを得る

尼蓮禅河のほとりの菩提樹の下、千葉蓮華に座り、毘盧遮那仏となる  「三界は唯一心なり 心以外に別法なし 心仏はすなわち衆生なり」 三無差別理法を21日間説く

釈迦の教えをすぐに理解できない者を、牛から搾ったままの生乳に例えた 修行の低い段階の弟子も悟りに入ることができることを乳を精製した酪に例える 低次元の教義を酪を精製した生蘇に例える 王舎城などで経典600巻 大法会を三十年、これを生蘇を精製した塾蘇に例える

霊鷲山にて八年、法花を広げ入定、これを最も良く精製された乳製品である醍醐の味に例える 八十歳、技提川のほとり沙羅双樹の下で『涅槃経』を説く

『涅槃経』 一切の衆生は悉く仏性を持ち如来は常住であって変わりゆくことはない

二月十五日 涅槃に入る その時四方の沙羅双樹は枯れた 火葬には栴檀の木が使われた

注・『涅槃』とは 心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地 という意味 

那須の里山花図鑑